About
HISTORY
Latin Echoesの歴史
昭和35年(1960年)5月に
トランペット・アルトサックス・ドラムスの3名で
同好会を結成しました。
その後ギターが加わり、
また管弦楽部よりクラリネット奏者を強引に勧誘して
同年12月に高等看護学校主催のクリスマスダンスパーティーに出演したのが観客を前にしてのはじめての演奏です。
その後ベースが加わり、翌36年(1961年)4月に大学自治会の中の正式なクラブ活動に昇格しました。
このときに与えられた予算は、1年間でわずか1,000円でした。
この年より部員の数も次第に増え始め、軽音楽部の創設当時の飛躍的発展に貢献したメンバーが続々と入部してきました。
この当時はラテンミュージックが流行していました。
我々もラテン曲を中心に演奏していましたので、バンド名も「ラテンエコーズ」と命名しました。
その後もこのバンド名は引き継がれています。
また、この年に念願のピアノを購入しました。
しかし、ピアノ代を捻出するために
毎月のごとくダンスパーティを行わざるを得ないという状態に
陥ってしまい、
今でもこの時代の苦労が語り草となっています。
12月には記念すべき第1回定期演奏会を、
京都大学軽音楽部との交歓演奏会という形で本会場にて行いました。
この交歓演奏会という形は2年で終わりましたが、
我が部単独の定期演奏会はその後も引き続き開催され
現在に至っております。
当時の演奏スタイルはコンボ形式で、
モダンジャズ・スウィングジャズ・デキシーランドジャズ・
ハワイアンバンド等をやっておりましたが、
部員の演奏技術がまちまちで、
なかなかアンサンブルがうまくいかず、
また楽譜を読む力もあまりなかったため、
これ等を解決する目的で
昭和37年(1962年)頃より全員で同じ曲を
演奏することが出来るビッグバンドの編成に取り組み、
当時の流行であったラテンミュージックを
中心としたバンドを結成しました。
翌38年頃からは本格的なビッグバンドジャズに取り組み、
グレンミラー・ベニーグッドマン等の曲を
演奏するようになりました。
以後、それぞれの年代での演奏スタイルは若干異なるものの、
部員達の努力で基本的な流れは引き継がれ、
現在に至っております。